由緒

 島津忠久公の母である丹後の局が暴風雨の中産気づかれた際、摂州住吉稲荷神社の神の使いであるキツネが、灯りをともして出産を助けた。その御神霊の加護により誕生された霊験を偲び、島津忠久公が薩摩守護職に任用された折、創建されたと伝えられる。

 一説には承久三年(1221年)と言われ、鹿児島では最古の稲荷神社とされる。

 南方国道三号線沿いの田の中が旧社地であり、現鎮座地には天和三年九月御遷宮された。代々島津家は当社を氏神として篤く信仰せられた。地元市来郷の郷社として広く崇敬され三月三日の御田植祭には世襲の親牛・子牛の劇で社頭と賑わう。平成二十六年十月由須原八幡神社を合祀し現在に至る。